「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」、「隣人を自分のように愛しなさい。」
・この2つの戒めは、「律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」という質問に対するイエス・キリストの答えです。
神はモーセを通して、「人を殺してはいけない」「両親を敬いなさい」など、人間として守るべきルール(律法)である十戒をユダヤ人に与えました。その中でも、神への愛と隣人への愛こそが一番重要である、とイエスは答えたのです。
それはなぜか?聖書にはこう書かれています。「人を愛する者は、律法を全うしているのです。 『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』、そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます。 愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。」
・心から神を愛していれば、どんな時も神の喜ぶことをしたいと思い、隣人を愛していれば、その人を殺すことや、その人から何かを盗もうとは思いません。だから、神と隣人への愛が、私たちを悪から遠ざけ、神を喜ばせることになるのです。
ところで、この隣人愛に関して、ある律法の専門家がイエスにこう質問しました。「わたしの隣人とはだれですか」これに対し、神であるイエスはある例え話をします。それは、ある人が強盗に襲われ、着ていた服をはぎ取られ、傷を負い、半殺しにされて道に放置される、というお話でした。この被害者のそばを、3人の人が通りかかりました。
1人目は、神に仕える祭司でした。教会のリーダーとして人々を正しい道に導く、という仕事を神から与えられているはずのこの祭司は、この被害者を見ると、道の向こう側を通って行きました。
2人目は、レビ人でした。レビという民族は、ユダヤ人の12ある部族の一つであり、永久に主の名によって仕える者として選ばれた民族でした。このレビ人も、祭司同様、死にかけているこの被害者を見て、道の向こう側を通って行きました。
3人目は、サマリア人でした。サマリア人は、ユダヤ人と敵対し、憎み合う関係にありました。そんなサマリア人は、その被害者を見て憐れに思い、 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱しました。そして、翌日になると、宿屋の主人にお金を渡して言いました。
「この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。」
そしてイエスはこの専門家にこう聞きます。「この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣人になったと思うか」
「その人に慈悲深い行いをした人です」と答えた専門家に、イエス様はこう言います。
「あなたも行って同じようにしなさい」
神であるイエス様は、またこうも言っています。
「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」
隣人愛は、信仰同様に行動が伴います。イエスは、「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人(当時は悪人扱いでした)でも、同じことをしているではないか。」とあるように、仲良くしたい人、自分に良くしてくれる人だけによくすることは真の隣人愛ではないと言います。困っている人、助けを必要としている人を見かけたら、それが自分の嫌いな人や、自分を嫌う人であっても迷わずに助けること。それが本当に隣人を心から愛することだと、イエス様は教えてくれます。