ユダヤ人とユダヤ教徒はほぼイコールと思っていい。アラビア半島にいたアラブ人のアブラハムが祖であり、ユダヤ教を信望するアラブ人がユダヤ人の始まりです。ユダヤ人は紀元前1000年ごろはイスラエル人またはヘブライ人と言われていました。
ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は共に一神教であり同じ神様を崇め、ユダヤ教から派生した宗教である。この3つの宗教はアブラハムという人を父祖に持つ。ユダヤ教では救世主(メシア)を待望するが、
キリスト教では救世主メシアはキリストとして、すでに登場したと考える。イスラム教はキリストを救世主として特別扱いをしない。経典については、ユダヤ教はユダヤ経典(タナハ)を聖典とし、
キリスト教ではユダヤ経典を神との古い契約:旧約聖書とし、キリストが神との新しい契約をしたとして新約聖書を結んだ。とする。イスラム教はコーランを聖典とし、旧約聖書、新約聖書を啓典として尊重している。
●ユダヤ教
ユダヤ教では、神はエロヒーム、主はヤハウェと呼ばれた。出エジプトと呼ばれる伝承で、奴隷状態にいたイスラエル人を解放した、モーゼの十戒が有名である。
十戒とは
・他の神々の崇拝を禁止
・偶像を作ることの禁止
・ヤハウェの名をいたずらに唱えることの禁止
・安息日を守ること
・父母を敬うこと
・殺害の禁止
・姦淫の禁止
・盗みの禁止
・隣人に偽証することの禁止
・隣人の家を貪ることの禁止。
紀元前11世紀にダビデ王により中央集権国家が発生しダビデ王の理想的支配者のイメージが メシア:救世主の待望論を作り出す。ソロモン王は経済を発展させエルサレムに神殿を建造する。紀元前6世紀ごろ、2つに分裂した南のユダ国がバビロニアにより滅ぼされる。
この時、支配階級がバビロンに捕囚された。この時代にユダヤ教の聖書の主要部分が形成される。 又、この時にさまざまな予言者が現れ、民の罪が亡国を招いたとし、正義と救済の思索を深める。
キリスト殺害後、国を持たないユダヤ人は農業、商業など様々な分野で制約、迫害を受けてきた。キリスト教会が禁止する金融業に従事する者が多く、各地で恨みをかった。
職業の自由がないため学問でしか立身出来ず、そのため識字率が高くなり現在に至るまで天才を多く輩出した。
ハメシュ・メギロット
旧約聖書の諸書に属する五つの書物
(ユダヤ教の概念)
『コヘレトの言葉』、『雅歌』、『哀歌』、『ルツ記』、『エステル記』
ソロモン王
幸福を論理的かつ哲学的な探求を実践していたとされている。
一般的に幸福をもたらすとされる知恵、正義、女性、家族、財産、信仰といったものは、幸福に繋がらず、欲望を増長させると結論する。
格言とは人間に、痛み、苦しみ、虚しさをも覚えさせるもの。なぜなら、失敗経験があるから心に染みるのだ。
ソロモン王の極意(12章13節)
すべてに耳を傾けて得た結論。
「神を畏れ、その戒めを守れ。」
これこそ、人間のすべて。
コへレトの言葉
コヘレトとは「集める者」を意味する。正しくは伝道の書と呼ばれる。
名言の宝庫と言われている。また、宗教、民族を超えた普遍的な疑問(人生の空しさ、諸行無常、「国破れて山河有り」といった国や社会について)の哲学的考察になっている。
旧約聖書における一般的な思想からは、概ね次のような世界観が読み取れる。
神は人間が自らの意志で義を選択し行うことを望んでいる。 神は人間それぞれの行いに応じて、祝福か罰で報いる。
それに対して、
コヘレトの言葉では決定論に基づいた世界観が述べられている。義人も罪人も等しく死ぬことなど、この世のすべては定めがあり、その定めは決して変えることはできないと論ずる。もし、すべてが予定されているのならば、自由意志なるものは虚しい。すべてが予定されている世界では、普遍的な正義を行うことに、積極的な価値を見出すことができないのではないか、と論ずる。
コヘレトの言葉では、
人知の及ばない事柄は人間からは何もできないのであり、人間をありのままの姿で肯定もする。
(お釈迦様があの世の事に対しての考えと全く一緒です。)
また、為政者からの弾圧で、その圧政から逃れても流浪の民であり、よそでまた迫害を受ける。為政者の世も一時のものだから、我慢する方が良い。とも言ってます。生命より土地に固執するのは、この教えからかもしれません。
●キリスト教
キリスト教は、ユダヤ教から発生した宗教である。救世主メシアがキリストと信じるものが集まり教会を作った。これがキリスト教の始まりである。 キリストとはメシアにあたるギリシャ語である。彼は支配者、強者ではなかったが模範のような人だった。彼が説いた神の国とは、愛(隣人愛)の教えである。
信者はこの愛を実践する、弱者に寄り添い、偽善を憎み、清貧に努め、富を地上ではなく天に積む。キリストはやがて復活し、彼の裁きを受けるときに善きカルマであることが重要なのだ。
キリスト教は一神教だが、神は三つの神が本質は一つとした。これを三位一体説という。三にして一、一にして三の教理。
・父なる神:ヤハウェ(天の神)
・子なる神:イエス・キリスト(神の側面と人間の側面を持つ)
・聖霊:信者に霊感を与える(指導する)霊位
新約聖書の中心にあるのは福音書である。 福音書はイエス・キリストの伝記である。福音の語源はイエスの誕生をグッドニュースとしてギリシャ語で表すとエヴァンゲリオン(良い知らせ)、英語ではゴスペル、中国語で福音と訳した。 内容は概ね、イエスの誕生。イエスの伝道の様子。そして体制に睨まれて裁判後、十字架に磔される。その後復活するストーリをまとめたもである。 キリスト教の神学によれば、人間は潜在的に罪があるとして原罪があり、その罪を背負って自ら十字架に死んだキリストを信仰することでようやく贖罪できるとする。
新約聖書
・福音書:イエスの伝記
・パウロ書簡:パウロが送った手紙
・公同書簡:信者に信仰のあり方を説いた手紙
・ヨハネの黙示録:終末論
キリスト教には大きく4つの宗派がある。
●西方教会
・カトリック教会:「ローマ・バチカン」
・聖公会
・プロテスタント
●東方教会
正教会:「ギリシャ正教」
十字軍とは
11世紀にイスラム勢力に抵抗できなくなった、ビザンツ帝国(東ローマ帝国:首都イスタンブール)が西方に助けを求め十字軍による聖地奪還作戦がスタートする。
一時期エルサレムを奪還するが、一進一退を繰り返す。13世紀には終息した。(200年で7回侵攻した。)
●イスラム教
イスラム教はユダヤ教とキリスト教を一層純化したものとして発生した。7世紀にメッカにいたムハンマドがアッラー(神)に啓示を受け、 その言葉を集めた書がコーランである。アラブの人々はムハンマドを予言者とし神の使徒と認めた。イスラム教では帰依者をムスリムと呼び、
アッラーや六種のものを信じ、礼拝などを含めた五行を行い、神に定められた生活規範シャリーア(イスラム法)を守る。教えの主たることは、 神の下での人類の平等(神の前では民族、身分、貧富も関係がない)又、建前として同じ神を崇めるキリスト教、ユダヤ教には改宗を求めない。宗教に強制があってはならない。
とコーランに明記されている。ジハードは他勢力の抑圧に対する防衛戦である。ムハンマドの生涯は、山にこもって瞑想中、天使の訪問を受け神アッラーからの啓示を下される。
その当時はメッカは多神教であり布教中に迫害を受ける。その後、支援者である家族と死別しメッカで布教できなくなる。しばらくして、ムハンマドはメディナに争いの調停者として招かれる。
そしてこの地で布教を再開させる。それからメッカ無血征服まで剣とコーラン(戦い)を実践した。政教一致とは、ムハンマドの生涯は宗教指導者でもあり、政治指導者でもある。
他宗教は権力者の庇護のもとに発展するが、アラブ社会においてイスラム教は宗教・政治システム全てに代わるものとして誕生した。予言者は政治を含めた人生の範を示すものとして君臨する。
ムハンマド死後、後継者としてカリフ(予言者の後継者)を戴くようになる。4代目アリーまでを正統カリフといい、アリーはウマイヤ家と正統争いを行ってる最中にオマーンに現存する一派から暗殺される。
その後ウマイヤ朝が発生するが、アリーの子孫を後継者とするシーア派がイラン(ペルシャ)で残り、ウマイヤ朝支持者がスンナ派として残る。スンナ派はイスラム教徒の90%におよぶ。
イスラムは宗教が世俗の事柄全般を覆う仕組みをとっており、宗教を個人の心の内面の問題と捉えない。故に西欧型の政治や社会システムとの間に構造的緊張が常にある。
1970年ごろからイスラム復興運動が盛んになり、これが発展してイスラム主義となる。その中に暴力での解決を選んだのがイスラム過激主義派である。イスラム教徒は10数億人すべてが過激派ではない。
イスラム教の救いのシステムは、イスラム法(コーラン)、五行、六信からなる。
六信:その存在を信じる義務
・唯一神(アッラー:アラビア語で唯一神)
・諸々の天使(ガブリエル等)
・諸々の使徒(ムハンマド「予言の封印者」、アダム、ノア、モーゼ、ダビデ、イエス)
・諸々の啓典(旧約聖書、新約聖書、コーラン)
・来世(あの世)
・定命(宿命)
五行(五柱):五つの具体的行為の実践の義務を持つ。
・信仰告白(神と予言者を信じると表明する)
・日に5度の礼拝(未明、昼、日没前、日没後、夜の5回メッカに向かって礼拝する)
・喜捨(一定率で財産に課せられる。集められた富は、貧者、弱者、困窮者に使う。)
・ラマダーンの断食(日の出から日没まで成人男女が守るべき、飲食と性に関する禁欲)
・メッカへの巡礼(可能であれば)
カリフは宗教の指導者というより国家指導者の意味合いが現在では強いです。現在はイスラム宗教のシンボル的法王のような存在が必要ではないかと思います。