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オラクルの雫の霊のお話

道教・儒教・陰陽道topics

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●道教
中国三大宗教であり、「道家」「道家の教」「道門」「道宗」「老子」「老子の教」「老子の学」「老教」「玄門」などとも呼称され、道教は漢民族の伝統的な宗教とされる。 中心概念の道(タオ)とは宇宙と人生の根源的な不滅の真理を指す。道の字は(しんにょう)が終わりを、首が始まりを示し、道の字自体が太極にもある二元論的要素を表している。 この道(タオ)と一体となる修行のために錬丹術を用いて、不老不死の霊薬、丹を錬り、仙人となることを究極の理想とする。道教では、道は学ぶことはできるが教えることはできないと言われる。 言葉で言い表すことのできる道は真の道ではないとされ、道士の書物や言葉は道を指し示すものに過ぎず、真の「恒常不変の道」は各自が自分自身で見出さなくてはならないとされている。 神仙となって長命を得ることは道(真理としての宇宙観には多様性がある)を得る機会が増えることであり奨励される。
・老子 「水牛の上に乗った老子」とは、実在の人物か否かの意見は分かれ、『老子道徳経』に見られる「道」「徳」「柔」「無為」といった思想は、中国戦国時代後期には知られていたと考えられる。 また「道」を世界万物の根源と定める思想もこの頃に発生し、やがて老子の思想と同じ道家という学派で解釈されるようになった。 その一方で『老子道徳経』本来の政治思想は、 古代の帝王である黄帝が説く無為の政治と結びつきを強め、道家と法家を交えたような黄老思想となった。前漢時代まで大きく広まり実際の政治にも影響を与えたが、 儒教を国教とすると民間に深く浸透するようになった。 その過程で老荘思想的原理考究の面が廃れ、黄帝に付随していた神仙的性質が強まっていった。そして老子もまた不老不死の仙人と考えられ、信仰の対象になった。
道教の別の源流の一つとなった神仙とは、東の海の遠くにある蓬莱山や西の果てにある崑崙山に棲み、飛翔や不老不死などの能力を持つ人にあらざる仙人や羽人を指す伝説である。 やがて方術や医学が発展すると、人でもある方法を積めば仙人になれるという考えが興った。 又、墨家が言う「鬼」とは、天と人の間にあって人間を監視し、 天意(「義」道徳や倫理など)に背くと災いや事故を起こすと言う。人々は「義」を守る生活とともに天や鬼を祀り、罰を避けようとした。道教では天と鬼の間に人の世界があり、 各階層で善行や悪行によって上り下りがあると考えられた。 また道教では神秘的な「符」を用いて護身や鬼の使役ができると考えられた。
・道教とは、「道の教え」である。 広義には、「従うべき聖人の教え」という意味である。道(タオ)は、自然とか無為と同義とされ、また陰陽の思想で説明される。道は真理であり、無極(むごく)と呼ばれ、 また太極とか太素と呼ばれる。

●陰陽道について
日本における道教は、4世紀には流入していたと見られている。6世紀には百済からの仏教に伴い「呪禁師」「遁甲方術」がもたらされ、 支配者層において教養的知識レベルに留まらず実践に至るまでの浸透を見た。だがそれらは道教経典・道士・道観の導入を伴っておらず、断片的な知識や俗信仰の受容に留まった。 一方で、道教に取り入れられていた要素に過ぎなかった陰陽思想、五行思想や神仙思想、それに伴う呪術的な要素は道術から陰陽道に名を変えて国家組織にまで発展した。陰陽師としては、 平安時代の安倍晴明などが有名である。

・五行思想
日本における陰陽道の中核をなす思想である。もともとは暦法や易は易経に起源を持つ。日本ではすでに確立されたツールとしての利用のみが伝わった。 【道教の開祖たる老子は唐王朝の李氏の先祖でもあると伝えたため、天照大神を先祖とする天皇の支配体制と相いれないものとして拒否された、したがって「日本に道教は伝わっていない。」とする見解もある。 即ち陰陽道は、道教の技術的側面(当時の科学、禁忌的呪術、一般呪術)だけを導入したものであると言える。】

●儒教
(孔子を始祖とする思考・信仰の体系)
紀元前の中国に興り、その学問的側面から儒学、思想的側面からは名教・礼教・孔教・孔子教とも呼ぶ。 中国では、哲学・思想としては儒家思想という。孔子によって体系化され、仁義の道を実践し、上下秩序の弁別を唱えた。内容は、(支配者の)徳による王道で天下を治めるべきであり、 武力による覇道を批判し、徳治主義を主張した。そして儒教の朱子学の特徴を簡潔に述べるならば、「修己治人」あるいは、『大学』にある「修身、斉家、治国、平天下」であり、 「経世済民」の教えである。
儒教の経典は、『易経』『儀礼』『尚書』『春秋』『公羊』『魯詩』『論語』の七経からなった。 儒教の教義は、五常(仁、義、礼、智、信)という徳性を拡充することにより五倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)関係を維持することを教える。

仁:「人を思い遣る事。孔子は仁を最高の徳目としていた。」

義:「利欲に囚われず、すべきことをすること。」

礼:「仁を具体的な行動として、表したもの。もともとは宗教儀礼でのタブーや伝統的な習慣・制度を意味していた。のちに、人間の上下関係で守るべきことを意味するようになった。」

智:「ただ学問に励むだけでなく道徳的認識判断力であることともされている。聡明、明智などの意味がある。」

信:「言明を違えないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること。」

・儒の起源については、道教のシャーマニズムから祖先崇拝の要素を取り出して礼教化し、仁愛の理念をもって、 当時、身分制秩序崩壊の社会混乱によって解体していた古代社会の道徳的・宗教的再編を試みたのが孔子である。

天論については、それまでの天は、

「天は人格的であり意志を持って人に賞罰を下す」

とされたが、ある時代以降解釈が変化する。

「天は意志をもたない自然的なものであり、天と人とを貫く法則にただ理がある」

とされた。このような天観の変化によって『易経』を中心として新しい宇宙生成論が展開された。 「太極図」に基づいて、「無極→太極→陰陽→五行→万物化生」の宇宙生成論を唱えた。気が離散して流動性の高いあり方を「太虚」、気が凝固停滞してできているものを「万物」とした。 この気には単なる宇宙論にとどまらず道徳的な「性」が備わっており、「太虚」の状態の性を「天地の性」として本来的な優れたものとし、「万物」の状態の性を「気質の性」として劣化したものとした。
又、日本においては、“儒教は倫理であり哲学である”とする考えが一般的である。しかし、広義では宗教と結論づける事も可能である。 (道教のシャーマニズムを整理して道徳を発展させた宗教)

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