本文へスキップ

オラクルの雫の霊のお話

私なりの霊解釈topics


人は、生まれた時は生物としての人間(野生動物)で、自我の芽生え、理性の発生、発達そして、知識の教育、知恵の獲得、常識というルールを守る事により、人(人間の理想)になる。(*1)  完成になる。つまり、自分のした過ちを後悔しなかった私は動物に毛が生えたもだったと今は思えます。決して、変な状態になったからといって人間は人間であり、人間を超越したものではありません。 せいぜい毛が生えた様なものなのでしょうか。

ここからは私の霊障経験からの考察です。

もし、霊が見えたとしても、声が聞けたとしても、それによって本当に人としての生活が破綻しても自分の傲慢が許した結果であり、 早ければ元の生活に戻れるのでしょうが、 霊格が上がって行き手遅れな場合、残念ですが上がり続け人界(仏教的階層・十界を参考にしてください)まで到達しなければ、まともに生きれないと思います。 (先祖供養をちゃんとしている家は少し軽くなるかもしれません。)
大概、地獄を経験するので、気力、体力、生活、お金が地の底で枯渇し、多少良くなった所で、その変な状態を力を得たと誤解し霊感商売を始める。
また、いやになってある程度上がったところで戻ろうとしても来た道を帰るだけで、地獄を再び経験する。この世は此岸(しがん)であり、地獄は彼岸(ひがん)の先です。 私たちの霊格は、地獄のさらに下なのです。
何人(なんびと)も死んで霊格が上がって行き、地獄を通過します。それが、すぐなのか、ものすごい時間がかかるのか、苦しみが多いか、 少ないかの違いだけで通るのは一緒なのです。 つまり魂の浄化の過程が地獄のようにつらいのです。これは現世への未練なのかもしれません。自分を忘れる未練を断ち切る行為は思いを消す行為だからでしょうか。

何事も訓練、修行が大切です。

訓練、修行:良き師に出会える事が重要で、結局、皆よく知らないのです。(私を含めて)
死んだ経験(記憶)がないから当然です。どんな教え(参考書、教書)がいいかなども判らないし、なにが正しいかも判らない。
また、道教(道学:仙学)にある言葉で、「道は学ぶことはできるが教えることはできない」と言われる。言葉で言い表すことのできる道は真の道ではないとされ、 道士の書物や言葉は道を指し示すものに過ぎず、 真の「恒常不変の道」は各自が自分自身で見出さなくてはならないとされている。要約すると「道はあるが、やり方はない(多種多様)・山の頂上の目標はあるが、上がる道が定かでない。(パターンはないのです。)」
仏教でも禅のなかで説かれています。月が悟りで月を指さす指が教えだと言われます。どんなに指(教え)を見ても月(悟り)にたどり着けない。
これが現状で、良き人に出会えるのかは、交通事故の確率みたいなもの。適当に占い師に会ってもどうかは運しだい。
多少の霊障なら、粗塩を一つまみお風呂に入れ、入浴してください。又、部屋の掃除をして下さい。これで楽にならないようでしたら、ご自分で解呪は難しいでしょう。 人の念か、霊障か、体調不良かも、素人には判らないのです。(私も、そうでした。病院に駆け込み統合失調症の確定です。) ・病気でしたら、皆さんは、ご自分で市販の薬を試して、 それでも治らないようでしたら、治そうとせず、病院、お医者様のところに行きますよね。一緒です。 ただ、占い師(スピリチュアル系)にも詐欺師みたいな人もいます。

-占い師-
占い師さんは看板に自分の占い方を掲げています。 もしくは占う前に聞いてください。霊障を専門にしている方もいます。ただ、彼らにも生活があるので、当然、相場くらいの請求があっても、許してください。 占い師は、あなたの霊障も共有します。負の連鎖を受けるので、ごめんなさい、全く無料とはいかないと思います。(法外な料金の場合すぐに立ち去ってください。ロクなことがありません。)

-浄霊-
よく私に最強の退魔方法を聞く人がいます。そもそもこれは浄霊でなく、祓いのけです。祓った霊は身近にいるのです。本来ちょっとした干渉であれば粗塩ぐらいで十分です。それでもあなたに影響するのであればピンポイントで来ているのです。意味があるのです。 あなたしかいないのです。こうなっては、素人では無理です。ちゃんと憑いてる人の言い分を聞かないといけません。無理に祓おうとすれば、嘆願が憎悪に変わります。そして、 もともと何だったか判らなくなっていき複雑になります。恐怖、怖い、パニック。良く判ります。だから、未知の体験に誤解しないで下さい。誤解がさらに解呪を複雑にします。未知なことにやれることは限られます。 (なぜなら、何をやっていいか判らないから)また、霊の専門家になることは、あまり推めません。それは、人を導くほど又は、霊を説得するだけの霊格になるには並大抵以上の修行または試練が必要だからです。 また、祓い退けで暫く大人しくしている霊が本人もしくは、術者の体力または霊力が落ちたところで復讐することがあります。気が狂いながら自分の死を迎えます。 (もう霊位に悪意しかないから。)

-呪術-
霊に対する祓いは基本浄霊です。外れる場合は、覚悟がいります。巷に呪符、呪文、呪い(まじない)がインターネットに流行っていますが、呪術自体が魔に通ずるので素人が、私を含め、安易に行う必要はありません。恋占いなど、可愛いらしいものならいいですが、結局、それを見て、叶えるものは何者でしょうか、 その呪いの念を食べるのは何者でしょうか?判っている者などいないのです。安倍晴明様は式鬼を使役したと聞きます。これは、呪いの実行者が確定しています。つまり、解呪が出来る、目的を理解している、コントロール下にあることを意味します。では、私たちはどうでしょうか?結局、呪符、呪い自体に力があると思っているのです。 違います。代行者がいるのです。それは、未浄化霊か、魔か、先祖霊か、判りません。確かなのは、高位霊はまず実行しません。また、自分の意図しない結果になることが良くあります。行った先で霊がどうするかなどコントロールはできません。結果を知ることもできません。霊としては祟りやすい、存在が許される。これに限るのです。 本当にご自分に力があるなら、呪い、呪符、詠唱とか無しに念だけで実行できます。コントロール出来るかは別でしょうが。皆さん、恨み、怒り、憎しみを制御できますか?人間のMAXの念などそんなものです。純粋な祈りで強烈な力など、あまり見たことがありません。

-祈り-
高位霊様にお願いとは、祈祷とは、祈りとは、利他(他人、自分も含め最大幸福)です。高位霊様は自己の邪な願いなど聞いてくれません。また、高位霊様と交信出来るほどなら邪な事などできません。その時点で交信出来なくなります。まして、他人の代行で悪意の呪いなど論外です。
霊にお願いする時に聞いてもらっている相手は判っていますか?誰も判らないのです。私たちは、一方的に未知の存在の接触を正しいもの「神」と信じ、自分を特別だと思い込みます。霊的干渉に意味を持たせ占いにしてしまいます。
また自分に守護している霊がいたとしましょう。相手にもいるのです。みんな、あなたの行動を見ています。絶対にばれないなんてありません。 常に見守られています。法の抜け道を探しても、霊の方々には関係ありません。違うルール(理:ことわり)で存在しているからです。

-霊格-
あなたは自分自身の霊格を確かめたことはありますか?難しいと思います。自分の波長(霊格)に見合う御方があなたに接触できます。
普通、此岸、この世に生きる者の霊格は彼岸より下です。(上の方、聖者は別として)死者がよく、神様はいないと言います。判らないのです。(見えない、聞こえない、気付けない) ほぼ、霊格が高い御方は生きている人間から見れば神様と同義です。
(そして通常、死んで間もない人同様、私たちは波長を合わすことが出来ず。教えを聴くことが出来ません。)

-審神者:サニワ-
霊的な方との接触が正しいか見極めをサニワ:審神者と言います。
サニワ:審神者が出来ない。神様の見極めが出来ないとよく言いますが。サニワ:審神者とは霊とのコミュニケーションと私は考えます。高名な霊格の方の名前を人に伝えてくると、 生きてる人は良い事しか行わなと信じているだけです。(本物か確かめる手段がありません)
霊との接触を続けるのであれば、人間の交友関係と一緒で良く理解すること、死んだ人がほとんどです。 自分に対して優しい人、意地悪な人、怒っている人、様々です。 この世と変わりがありません。信頼できるかは、自分で納得しないといけません。これがサニワが出来るということです。
次第に霊格が上がり、波長が変わると、今まで話していた方が次の方を紹介して頂けることがあります。そして、だんだんと良き霊格の方とお付き合いさせて頂くのです。(お導きを受ける。)
だから、いきなり高位の神様が自分の前に現れて特別ということは無いとは言いませんが、極めて稀です。

-供養-
ご先祖が供養してほしい願いで良く騒ぐことがあります。そして、子孫の願いを叶えることがあります。叶ったことに感謝して良く供養するのであれば、問題はありません。
しかし、そもそもが供養が必要なほど迷っている方です。良くかなえてくれます。便利に叶える道具に呪術にしていませんか?自分の先祖が子孫の邪な願いを叶えても供養をしてもらえず、 どんどん魔に落ちていきます。
本来、子孫に躾(しつけ)をすることが望ましいのですが、話が出来ないので気づいてもらえることを優先します。 これが、どんどんエスカレートし気付いた時には神に見放されています。 そして、子孫が死んだ時、その子孫の子供は親を見ているので同じことをし、自分も彼岸に行けません。負の連鎖が続きます。

-祀る-
小さな祠(ほこら):神社の場合はどうでしょう?神様は土地神様の場合、その土地の遠いご先祖さまだったりすることがあります。人々の感謝が力になると聞きます。やはり存在が厳しくなると一杯かなえ始めます。
しかし、祈願した人でお礼を言いに来る者は稀です。感謝に神社に奉仕する者も稀です。神社は荒れ果て誰も来なくなります。だから、時折、祈願に来る人を放しません。
そういう時は一杯 奉仕して神様と一緒に良くなりましょう。コミュニケーションです。そうするとなぜか神社が自然と良くなっていきます。神様が笑顔になると、神社が盛り返していきます。

-至高神-
一神教の神様は至高神ですが、日本の神様は多神教の一種で八百万神であり、自然崇拝+精霊崇拝+先祖崇拝に近いです。キリスト教の至高神はゴッド様ですが、 神という言葉をあてていいのか迷います。神という言葉はあまりに広義で、やはり唯一神に名前があるのなら、その名で唱え特定する方が無難です。
干渉する霊位や神様を善か悪か感じて判断するのはあなたで、他方の人々には善神だったりします。人は霊格が低いです。こちらの話など戯言(ざれごと)のように聞いてくれない神様もいます。 又、どんなに小さな祠の神様にも、たくさんの神使様や眷属様がいます。神使様や眷属様は神様に対し失礼をすると、とても怒ります。 それはもう、人の感覚で考えられないくらいです。(私は怒られ続けて20年になります。)
私たちは、たくさんの未知なる者達、たくさんの自然、たくさんの生物と共に共存しています。 (生きています)この世はご自分が存在する為にたくさんの生物を殺します。でも、 殺された生物も生きる為にたくさんの生物を殺します。だから、殺さずは無理です。私たちも沢山の生物の中の一つですから。 無益な殺生は出来るだけやめましょう。そして、謙虚に生きましょう。これが自然体に生きるということです。

-宗教-
また日本の神様ごとに宗教のような戒律、教(教え)は明確にはありません。 天照大御神様は皇室の先祖神様です。2500年以上も続いてます、日本人なら、ほとんどの人にもほんのちょっぴり血は混ざっています。ですから、先祖崇拝なのかもしれません。 ご先祖様供養なのかもしれません。宗教には明確に教義、戒律があります。人の生き方を説きますので勉強する入口にはいいかもしれません。そして、霊的な者との対話が始まると神様の存在を意識し始めます。 そして知らないことが多すぎる事に気が付きます。(理屈では理解出来ないことが一杯です。)
何を信じるかの区別は必要ありません。あるのは如何に人の理想に近づけるか。 生物として生まれた人類が進化し、魂として存在するまでに至り、生まれ変わりが出来るまでに進化したのなら、 肉体を持つ意味を持たせること、生まれた人間に使命があると思う人が多いのは、 そんなことなのでしょうか?
地域が変われば、話す言葉、生活が、国が違います。それぞれに人として生きる教えが違います。生きる教えが宗教なら、言葉なら、違う神様を否定する必要はありませんよね。 その地域での導きの先祖神様です。何が上とか関係ないのです。問題は先生(神様)に何を学ぶのか?私たちは、神様たちのルールを知りません。生きたままその領域に入れば知らないまま罪を犯します。 霊的な者を力、刃に変え、邪道に突き進めば最後は自分だけでなくその周りも巻き込んだ破滅です。自分だけで終わるとは思わないほうがいいです。そのことで傷ついた者たちは術者の近しいもの、 子孫を永遠に苦しめます。こうなると結局のところ供養しかないのです。(施餓鬼会・施食会) 長い長い時間がかかります。苦しみながら供養を続けます。

-霊的干渉-
「なぜ自分が」こういう思いがあるかもしれません。他人でいいというなら自分でもいいのです。他人でなく自分。
「情けは人の為ならず、自分の為。」
しかし、施し(恩)は帰ってくるという人がいますが、あなたの行為に感謝して恩返ししてほしいと思っても、あてにしてはいけません。
無償の愛でなければ、自分が壊れます。なぜなら、先祖の過ちを、前世の過ちを、etc。理解に苦しみますが、霊障を起こす彼ら(霊)も憎しみ以上に成仏を欲しているのです。
結果、たまたま自分ならですが、相手(霊)からは、もうあなたしかいないのです。 追い詰められた霊位に余裕は無く要求しかできません。いつの日か自分も救われると思い善行を行いつ続けるしかありません。

-神社-
皆さんが神社、お寺で祓った霊が途方に暮れてそこにいます。霊には波長が異なる、普通の人は見えません。しかし、霊格がちょっとずれて感じるようになると、霊からも視認できます。 未浄化霊から見える。ご自分が霊を見ることが出来る。となると、気を付けてください。浄霊の意思がないのなら、心霊スポットには霊が見えなくなるまで近づいていけません。

(見えなくなるとは)
普通に暮らせる霊格に下げるか(閉じるか)、人界まで上がるか?ということです。

-未浄化霊-
苦しい状態の未浄化霊の人もいっぱいいます。波長がこの世と合わず認識できず、真っ暗闇にいることがあります。歩けども歩けども、何かにぶつかることなく、ただ、暗闇です。たった一人です。 そして歩くことを止め、ただそこに佇みます。(地縛霊)そんな時、ボーと光る人を発見します。霊格(波長)が合った、あなたです。霊は近づき離れません。霊からすれば、ほぼ神様です。 さみしい思いから意味が分かっても、離れません。貴方からすれば見えたと思うでしょうが、霊が人のように見えた時には憑依が完成です。私はこのようなものです。と貴方に見せているのです。 (普通、見えてもオーブ)
・浄霊する気がないのなら、そういう場所に近づくのはお勧めしません。遊び半分に、興味本位に接触は人生の破滅です。

霊能力者の子孫に力が遺伝しないのは、 本当に理解した者は自分の代で供養を何とかしよう、子供にはこの苦痛を味会わせたくないとの思いからなんでしょうか。

*1 学問的には 人科目 人間 ですが、あえて逆に書いてます。ニュアンスがいいので


-呪いについて-
呪いを受けたから、呪い返す。そして、呪いに負けると破滅するといいますが私の感覚だと相手を負かそうとしても、 どんどんエスカレートしていき負けてしまうと呪いとして行動した霊位がいついてしまい霊障が続きます。この霊位は本来どうしてほしかったのでしょうか?正気を失っているかもしれません。 結局、供養をする事、許し合うこと、相手の幸せを願うことが大切だと気づかされました。呪いに勝っても呪いのラビリンスから抜け出せません。また、次の呪いです。悪意に悪意は勝てません。 思い(念)を解消できません。善意に善意は祈祷であって幸せはさらに大きくなります。念は業も祝も+、-で考えると打ち消すのは同じ思いでは消せないという事ですね。
また、豆知識でも書いてますが呪いも広義な言葉です。祈祷も、願いも、念も、すべて含まれます。これも使い方次第ですね。

ナビゲーション