― 序 ―
柴門(さいもん)独り掩うて、千聖も知らず。自己の風光を埋めて、前賢の途轍に負(そむ)く。瓢を堤げて市に入り、杖を策(つ)いて家に還る。酒肆(しゅし)魚行(ぎょこう)、化して成仏せしむ。
(訳)
ひっそりと柴の戸はひっそりと閉ざされていて、どんな聖者も、その真実を知ることはできない。悟りの輝きをかくして、昔の祖師の歩いた道に背くことになるかも知れない。徳利をぶらさげて町にゆき、杖をついて自分の家に還るだけだ。酒屋や魚屋にも行って大衆と交わり、感化して成仏させるのである。
― 頌 ―
胸を露にし足を跣(はだし)にしてテン に入り来(きた)る。土を抹し灰を塗って笑い腮(あぎと)に満つ。神仙真の秘訣を用いず。直(じき)に枯れ木をして花を放って開かしむ。
(注)
● 胸を露にし足を跣(はだし)にして テンに入り来(きた)る。
胸を露にし足を跣にして、:一糸もまとわない裸の天真爛漫な姿
テン :市場(いちば)のこと
・胸をさらけ出し、足は跣で靴も、草履もはかないで、一人ヒョコヒョコと市に入ってくる。
● 土を抹し灰を塗って笑い腮(あぎと)に満つ。
土を抹し灰を塗って:灰頭土面のこと。頭に灰をかぶり顔を土まみれにして、百姓親爺のような格好で世俗に同化して利他行を行う。
・民衆の中に入って、土や灰で顔が真っ黒になるまで一緒に働き、泣き笑いをする。苦しんでいる人と一緒になって泣き笑いするような人になって始めて、救うことができるだろう。
● 神仙真の秘訣を用いず。
神仙真の秘訣:神秘的な仙人の神通力。
・こういう境地に至り、こういう生活ができれば、何も神秘的な仙人の神通力などは必要ない。
● 直(じき)に枯れ木をして花を放って開かしむ。
直に枯れ木をして花を放って開かしむ。:起死回生の奇跡を現して、創造的生活を送れるようにする。
・この境地に至れば、枯れ木のように生気が無くなった人にも、新たな生命を吹き込んで花を咲かせることができるだろう
(訳)
彼はあたかも蓮や睡蓮が汚い泥水の中から生長しても、泥水(世俗)に汚されないように、「世法即仏法」の生活を民衆のなかで実践するだけだ。その人は胸をあらわにし、はだしになって町に入ってきた。土にまみれ、泥をかぶりながら、その顔は笑いに満ちている。仙人が持っているという不思議な力があるわけでもない。ただ、枯れ木に花を咲かせるように、人々を救っていくだけだ。
(解釈)
柴(しば)の門を誰にも知られず、ひっそりと閉ざしてしまえば、お釈迦さまでも観音さまでも、門のなかを知ることはできない。そのように、自分がさとりを得たことを表にあらわさないで、昔の立派な人のまねをしないで歩いていく。でも、自然と同じ道を歩いているのだ。そうして、空っぽのひょうたんをぶら下げて町に行き、疲れたら杖(つえ)をついて家に帰る。仏さまの教えにもしばられず、酒屋にも魚屋にも行って、会う人みんなの心を安らかにしていくのである。図に描かれている布袋(ほてい)さんは、中国の唐の時代の禅僧がモデルとされ、日本では七福神(しちふくじん)の一人として知られています。大きな袋には、人からもらったものが入っており、人に会うとそれを取り出して、あげていたということです。この布袋さんは、牛を探していた、かつての旅人です。目標を見つけ、見失っていた自分を取りもどした旅人は、町に行って人々と交わります。身なりにこだわらず、威厳(いげん)もありません。仏教で禁じられているお酒も飲むし、魚も食べます。そうして、出会った人の考えや行いに影響を与えていきます。そして、それは同時に自分自身の成長にもつながっていくのです。
布袋様はお腹が大きく胸をさらけ出して、大きな袋と杖を持って跣で歩いていた。弥勒菩薩(みろくぼさつ)様の化身と言われる布袋様の姿を第十段階の境地に理想化して描いていると思われる。四弘誓願の中にある「衆生無辺誓願度」と「仏道無上誓願成」の誓願は仏菩薩の願いである。 仏道修行の目的はこの外には無い。灰頭土面の働きはやろうとしてやるのではなく、そうしないではいられない慈悲心(利他の心)が自然に現れることを歌っている。「入店垂手」の境地に至った人は、枯れ木のように精神に生気が無くなった人にも、新たな生命を吹き込んで花を咲かせるような力を持つと言う。全く人の思惑や体裁を考えず、自分をはだかにして何のはからいも無く、行動する。一般大衆の中に混じって話をし、手を差し伸べる。 人の思惑や体裁を考えず、自分を裸にして何のはからいも無く行動する姿を歌っている。よく布袋様(ほてい)(中国の伝説的禅僧:七福神)が描いてある。