― 序 ―
久しく郊外に埋もれて、今日渠(かれ)に逢う。境勝れたるに由って以って追い難し。芳叢を恋いて而も已まず、頑心尚勇み、野生猶存す。純和を得んと欲せば必ず鞭撻を加えよ。
(訳)
長らく郊外の原野にかくれていた牛に、今日やっとめぐり逢った。この心牛の境地は無心で優れているが、自由奔放な野性を持つので、なかなか追いつくことができない。牛はこれまでさ迷っていた原野の芳草が未だ気になるようで自分の方を振り向かない。まだまだ頑迷な野性が残っているからだ。牛をおとなしくさせたいなら、厳しく鞭を当てて訓練をしなければならない。
― 頌 ―
精神を竭尽(けつじん)して、渠(かれ)を獲得す。心強く力壮(さか)んにして卒(つい)に除き難し。有(あ)る時(とき)は僅(わず)かに高原の上に到り、又煙雲深き処に入って居す。
(注)
●精神を竭尽(けつじん)して渠(かれ)を獲得す。
精神を鼓舞し、力を尽くして、ようやく牛の鼻を掴まえることができた。
竭尽(けつじん)して
竭も尽もつくすと訓む。つくして。
・心強く力壮んにして卒に除き難し。野性や悪習が根深く残ってややもすれば邪道に走りたがる。有時は僅かに高原の上に到り、ある時は自己もなく、世界もなく、煩悩も菩提もない境地に到って、自分ほど高く深い悟りを開いた者はいないだろうと高慢となり、又煙雲深き処に入って居す。煙や雲のようなかすかに煙った三昧の境地は、まだ無明煩悩の相対境に過ぎない。
●心強く力壮(さか)んにして卒(つい)に除き難し。
牛を掴まえてみると、この牛は二元対立の分別心や野生の妄情も強く、盛んに自己主張をする。そのような牛の野生を取り除くのはなかなか難しい。せっかく掴んだ手綱が、ともすると切れそうになる。
● 有(ある)時(とき)は僅(わず)かに高原の上に到り、
ある時は俺ほど高く深い悟りを開いた者はいないだろうと高慢となり、
● 又煙雲深き処に入って居す。
ある時は、煙雲(けむったような雲)とでも言うような魔境に入って、そこから抜け出せなくなって居すわる。このような手に負えない状態となっては禅天魔と云われても仕方がないだろう。
煙雲
煙や雲のようにかすかに煙った境地。ここでは無明、煩悩、分別の相対境のこと。
又煙雲深き処に入って居す。
煙や雲のようなかすかに煙った三昧の境地は、まだ無明煩悩の相対境に過ぎない。それを素晴らしい境地だと誤解して居座る。それは魔境なのに空に浮かぶ雲のように深い悟りだと感違いする。これでは禅天魔と云われても仕方がないだろう。
(訳)
精神をさらにつくして、自分の牛をつかまえた。しかし、この牛は野性の心が強く、力はさかんで、すぐにその荒々しい心や力を取りのぞくのは難しい。あるときは、ほんの少しの間、高原の上にいるような、目の前が開けた心境になったように思えても、またいつの間にか、煙のような雲につつまれて、その深いところに入りこんでいくように、自分の(牛の)心はとめどがない。
(解釈)
その牛は、長いこと野外の草むらにかくれていて気づかなかったが、今になってようやく会うことができた。しかし、その喜びの心境は、「牛に出会えた」ということで満足してしまい、かえって牛に追いつくことを難しくするし、また牛のほうでも、すきをみては香りのよい草を求めて草むらに逃げていこうとしてしまう。やっとの思いで牛をつかまえてはみたものの、その心はかたくなで勇猛であり、いまだ野性のままである。この牛を飼いならそうと思うのなら、ムチを使って、いましめなければならない。坐禅をしたことのある人は、静かな場所ですわっていると、いろんなことが次々と思い浮かんできて、とても集中できない経験をしたことと思います。十牛図では、あばれる牛にたとえられています。坐禅にかぎらず、何かを身につけたいと思うなら、まずは、なれることが大切です。はじめのうちはできなくても、何度もやってみるうちにできるようになるかもしれません。「いつかはできるようになる」と思いこめば、続けていくことができるでしょう。
自分が成長したことは、自分が一番気づきにくいのです。
どんなことでも、最初のうちは身につくまでに時間がかかるものですが、続けていけば、いつの間にかできるようになっていきます。今までできなかったことが、当たり前のようにできるようになるためには、多くの迷いや悩みを自分なりに解決しなければなりません。でも、その道のりで得たものは、本当に「身についたもの」になると思います。牛の全身が描かれているのは初めてです。旅人は、牛を探し、足あとを見つけ、牛の姿を見ることができました。牛は自分の心です。旅人は、牛に縄をかけてつかまえました。でも安心はできません。油断をすれば、牛に引っ張られてケガをするし、見失ったり、道に迷ってしまいます。旅人が牛(自分の心)をおとなしくできるのか、それとも牛に引きずられてしまうのか。お互いを結ぶものは、一本の縄だけです。